6月9日(土)~6月10日(日)まで雄勝地区にて小町まつりが開催されます。
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さて、小町まつりの主役「小野小町」は、平安時代前期9世紀頃の女流歌人で、クレオパトラ・楊貴妃と並び世界三大美女の一人にあげられます。小町の出生地は諸説ありますが、秋田県という説が主流となっています。それは小町にまつわる言い伝えや寺院・史跡が多数あること、および美人の多い地でもあることに由来しているものと考えられています。米の品種「あきたこまち」や秋田新幹線の車名「こまち」は小町にちなんだものです。
小町は、出羽国福富の荘桐の木田(現在の湯沢市小野字桐木田)の地で、都から赴任してきた郡司小野良実(よしざね)と地元有力者の娘との間に生まれ、13歳で都に上るまでこの地で過ごしました。良実の教育と生まれ持った才能により、都でも通用する様々な教養を身につけ、そのなかでも和歌は特に上達したといいます。任期を終えた良実とともに上京した小町は、美しい容姿と才能を活かして宮中に仕え、歌人として活躍しました。しかし何不自由なく暮らした20年あまりの宮中生活をやめ、突然、小野の郷へ戻ったといいます。
京で小野小町に特に思いをよせていた深草少将が、突然都から姿を消した小町を追って下京してきました。少将は小町に会いたいと手紙を送りましたが、小町はすぐに会おうとはせず、芍薬を毎日一株ずつ100株植えることを条件としました。100日目の夜、少将は100本目の芍薬を手に、小町に会いに行こうとしましたが、その途中で水かさの増した川に流され亡くなってしまいました。小町は深く悲しみ、99本の芍薬に99首の歌を捧げると、世を避け、香を焚きながら自像を刻み、92歳で生涯を閉じました。
6月1日から、
小町芍薬園も開園されています。2,000坪の苑内に130種6,000株の芍薬が植えてあるそうです。どうぞそちらへもお立ち寄り下さい。