今から約200年前、文化11年(1814年)、江戸時代の紀行家 菅江真澄が60歳のとき、小安峡温泉を訪れました。小安峡温泉 大噴湯について、菅江真澄は「雪の出羽路」「勝地臨毫」に克明に記録しています。
こちらが、菅江真澄が文化11年(1814年)勝地臨毫に書いた大噴湯です。「河原温泉(かわらゆ)といって危険で、けわしい深い谷底に下る。割り湯といって、湯が三、四丈(9m~12m)も吹き上がり、滝の落ちる川を越えて向こうの岸の岩にあたり、露となって散っていく。噴湯が岩の裂け目ごとに湯気の雲を湧き起こして、雷神のような響きを立て、大きな水はじきで吹きあげるように湯がでている・・・。」と書かれてあります。
200年前は 噴湯が向こう岸の岩に当るほど勢いが強かったんですね~。つづく。