小安峡温泉の開湯については、文章として残っている今一番古いものは「湯左衛門日記」です。
その一節によると「私の先祖久蔵は、本小安村に住んでいたが、慶長年間(1596~1614)に、深山で小安温泉を発見したので、湯坪の形を作って村人に試みに入湯してもらったところ、病に大変効果のあることが判明した。住まいを温泉の近くに移し、そのことをお上様に申し上げたところ、「それは大変に良いことである。今後も長く温泉を守って人々の役に立つように努力せよ」とのありがたい仰せがあった。その後、努力のかいがあって年々繁盛している。」・・・湯左衛門略系図によると承応二巳年(1653年)に元小安より移ったとあります。
ただ、地質学的に言うと不動滝周辺の地層を考察するに温泉自体はそれ以前から出ていて、今の地形が形成されたと思われます。
3~1万年前、不動滝周辺の三途川層は、温泉の珪化作用によって硬く変質しました。それに対し、皆瀬川による浸食作用が盛んになったのは7万~1万年前のウルム氷河期のころだそうです。
浸食は下流から長い年月をかけて行われるため、小安峡渓谷に浸食作用が及んだ時には、不動滝周辺の地層はすでに硬くなっており、下に削られなかったと推測されます。
小安峡大渓谷の険があったため小安地区から奥はなかなか開発することができないようでした。
現在では、国道398号線が小安峡の手前に走っておりますが、昔は橋を架けることが困難だったため、今では地名が無い川向地区という地区(滝の原・滝向・桂沢)を道が通っていました。
その道を1059年の前九年の合戦には、増田(真人)の清原武則が源義経の依頼を受けて、1万の軍政で花山へ向かった。と言う言い伝えもあります。
また、910年ほど前(寛治3年)には、金沢の柵へ向かう源義経の率いる一群が、この道を通ったとも言い伝えられています。歴史的ロマンですね~。
・・・・・小安峡温泉散策はまだまだ続きます。
※皆瀬村史、美の郷ゆざわジオパーク構想ジオサイト候補地案内書を参照しました。