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晴耕雨読 | 秋田県小安峡温泉 湯の宿 元湯くらぶの公式ブログ

晴耕雨読
この週末は台風一過で蒸し暑くなった小安峡温泉です。台風が過ぎると晴れて気温が上がるので植物の成長がよく見てとれる、そんな週末でした。ここのところ水不足でしおれがちだったアジサイの花も、今日はつやつや輝いていました。

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この週末に宿泊された湯沢市出身でニューヨーク在住の経済学者のお客様からこのような書を頂きましたので少し調べてみました。

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「 天行有常 」


荀子。紀元前313年~238年?中国の戦国時代の思想家で天人の分の一節です。

天行常有り、堯の為に存せず、桀の為に亡びず。
之に應ずるに治を以てすれば則ち吉、之に應ずるに亂を以ってすれば則ち凶。
本を彊めて用を節すれば、則ち天貧ならしむ能はず。養備はりて動く時は、則ち天病む能はず。道脩めて差(たが)はざれば、則ち天禍いする能はず。
故に水旱も之をして飢えしむる能はず、寒暑之をして疾ましむる能はず、祆怪使之をして凶ならしむ能はず。
本荒れて用侈ければ、則ち天之をして富ましむる能はず。養の略して動の罕(まれ)なれば、則ち天之をして全ならしむる能はず。道に倍きて妄行すれば、則ち天之をして吉ならしむる能はず。
故に水旱も未だ至らざるに飢え、寒暑未だ薄きに疾み、祆怪未だ至らざるに凶なり。
時を受くることは治世と同じく、しかも殃禍は治世と異なれり、以て天を怨むべからず、其の道然る也。故に天と人との分に明なれば、則ち至人を謂うべし。

≪口語訳≫

天道は常に一定に行なわれるのであり、堯のような明君があらわれた為に存在しているのではなく、桀のような暗君の為に失われるのではない。

状況にうまく対応して治めれば吉であり、乱れるようなやり方で対応すれば凶となる。

国富を豊かに増加させ、費用を節約すれば、天も貧しくすることはできない。十分に食養を摂り動いていれば、天も病気にすることはできない。

人道を脩めて踏み外さなければ、天も禍いを下すことはできない。そうだから水害や旱(ひでり)も彼らを飢えさせることはできず、寒さ暑さも彼らを疾いにすることはできない、祆怪(ようかい)も凶事を与えることはできない。

国の富が減少しているのに費用がかさめば、天も彼らを富ますことは出来ない、食養をおろそかにして十分に動かなければ、天もこれを健全にすることはできない。人道にそむいてでたらめな妄行をするなら、天も吉を与えることは出来ない。

こうして水害も旱もまだ起こらないのに飢えて、寒さ暑さもまだ酷くないのに疾いになり、祆怪も現れないうちに凶事に会うのである。

こうした(乱)世には時そのものは治世と同じであるのに、災いや凶事は治世とまったく異なってしまう、このことで天を怨むべきではない、これは(天道によるのではなく)人の道から起こる必然なのである。


これゆえに天の道と人の道を明確に分けて理解する人は、至高の人といえるのである・・・。



荀子は『性悪説』を唱え、人の本性は利欲の追及であるから、これを正して善へと向かうのは個々の学問によるものであるとし、更には社会の規律によって人を善へと導くことが重要であるという立場をとった方です。


一筆書いてくださいました佐藤先生に感謝申し上げます。
またお会いできる日まで、どうぞお元気でお過ごしください。
by m_kurabu | 2014-07-13 17:53 | 雑記 | Comments(0)
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